最近は私の脳が退化してきたのか、世の中の価値観がひっくり変わったのか、全く戸惑うばかりである。かつては企業の株価が純資産と同じならば、その株の発行(上場)会社の未来がないと思われていた。今時価で解散すれば、株価と同じ値段になるはず。それがPBR 1の世界である。もともとPBR 1の世界は、当の企業の成長が見込めないという暗黙の了解だった。PBRが1以下に放置されているならば、経営者は責任を感じて経営改革に乗り出すはずだった。

どうして低迷してしまったか、

  • 投資対象が広がって、投資家が当該企業の成長力を期待しない
  • 時代が波乱期に突入して、経営者に改革とか成長の意欲がない
  • 社外取締役は企業を成長させる責任を感じていない
  • 経営者はもしかして、外部の企業に買収されるのを待っている
  • 経営者は企業は成長しなくても、投資価値は十分あると思っている
  • 時代が急変してリスクが増大し、経営者は何よりも貯蓄を優先している

などが想像される。ともあれ、もと投資家の私としては、成長こそがリスクの分散になるとの信念に支えられて運用を続けてきたので、PBR 1を経営の目標にするといわれたら、何だそれは、、、、ということになる。それどころか物言う外国投資家に迫られたので、仕方なくPBR 1を 経営の目標にして、つじつまを合わせるという話だったら、全くおかしな話だ。

個人投資家も物言う外国投資家の口車に乗せられないで、PBR 1にも満たない低成長企業への投資をやめて、成長株に乗り換えるのがあるべき正しい態度ではないだろうか。であるから、PBR が1以下の株式にそれっと投資を始めるのは、まさに逆行というもので、本来はここで持ち株を手ばなさなければならないのである。物言う投資家は多くの眠ったような企業をたたき起こすだけのインパクトがあるのがわかってきた。そうだからと言って、当の企業が目が覚めたといって改革に乗り出すかどうかは、まだまだはっきりしない。もし能力のある経営者ならば、とっくに動いていたはずであったのだから。察するに、周りがいくら口を酸っぱくして、経営改革を促しても「できないものはできない」と放置してしまうのがPBR 1 以下の一般の企業なのだろう。