大日本印刷の北島会長が初めて投資家説明会に出席したという。メデイアはそれを取り上げて記事にした。おおよそのところ好評だったみたいだ。よくあることだが、、オーナー経営者の「尻込み」が。「コミュニケイションを欠いた経営者の姿勢」が批判にさらされている。ファナックの稲葉会長もその一人だった。また社外取締役の反対の姿勢を明らかにしていた堀場製作所の2代目社長も「第三者が経営陣に入ることを嫌っていた」というより恐れていたようだ。「自分の会社に邪魔はいらない.経営するに難しくなっては困る」という本音があるのだろう。

しかし時代は変わった。ESGとかSDGとかが求められているこんにち、株主とか投資家との対話を拒否する経営者など、価値はないのだ。しかし、その発端になる発言が「PBRの1.0倍を目標にする」という経営方針があるのなら、私のような古手の投資家はあきれてしまう。投資家が純資産の一倍以下にしか評価しない企業とは何だろう。黒字決算を続けるならば、毎年純資産はゆっくりでも、増え続ける。つまり純資産倍率一倍目標とは、株価が欲しいということなのだろう。

解散価値まで株価が上がってくれば、ご満足なのですか?と私はご本人に問うて見たい。そこは終点ではなくて、出発点ではないですか?オーナー社長には立派な方々が多い。日本電産の永守さんもその一人だろう。しかし、いかにも視野が狭いような気がする。今更原理原則と言ってはなんですが、われわれ投資家は成長を見込んで投資するのだ、むろん解散価値の認識がないわけではない。しかし、成長を論じないで、どうして会社経営を続けられるのか、成長目標がないのにどうして投資家はその株を買うのか。

わたしはこう思う。元の日銀総裁がともすると為替の投機家(という認識だったような気がする)と対立して、為替戦争に介入していたのを。経営者側は、投資家と対立しながら経営を続けるような錯覚をお持ちのようだ、今日でもそういう方がいてもおかしくはない。しかし、それは間違っている。投資家と対話して、経営の方針を理解してもらって、株主には長期投資をしてもらって、リターンを得てもらうのが筋だろう。いやいや、そんな平凡で本質的なことここで言わせないでほしい。だって、それなりの経営計画があるならば、株価がPBR1.0倍で済むわけがないのだから。