周知のように、いよいよ福永祐一騎手は今月をもって騎手引退をはかります。わたくしは特にこの騎手と親しいわけではありませんが、また特にセンチメンタルになっているわけでもないですが、思い起こしてみると彼が初めて騎手生活に入ったのが、今から27年前の1996年、天才と言われた父福永洋一が大けがをされて引退に追い込まれてから15年後のことでした。わたくしは1998年から趣味の競馬を再開していて、今日まで25年間ヤング福永とは27年間、喜怒哀楽を分かち合いました。笑

祐一は父洋一氏がけがをしなかったら、競馬界には入らなかったような気がしています。母親はハナから息子祐一の騎手生活には反対していたようです。それは当然です。夫と息子を同じような事故には会わせたくなかった母親の気持ちが痛いようにわかります。私は何といっても祐一の性格が好きでした。まじめで、研究熱心、マスコミや芸人たちとは一線を画し迎合しない。父親思いのナイスガイ(好青年)でした。しかも成績は歴代4位の2636勝(武は4406勝)という目覚ましい記録を打ち立て、本人はあまり父を意識していないようなそぶりでしたが、「さすがは洋一のご子息だ」とういう評判が高かったです。

一流の騎手とは、いろいろな解釈はありそうですが、なんといっても誉れ高いのは、やはりダービージョッキーになったこと。日本ダービーにワグネリアン、コントレイル、シャフリヤールと3度の栄冠をに輝いています。これは騎手名誉につきます。

彼は、数多くの騎乗を経てこう言っています「勝負は第3コーナーから第4コーナーにかけての各馬競り合いの中で決まるようだ」と。研究肌の祐一だけが言える勝負師のことばかもしれない、と私は感じました。ともあれ、2007年に独立した先輩の松永幹夫調教師のようなファンや関係者に慕われる新型調教師目指して、祐一は第二の人生を送ることになりました。私も一ファンとして2024年ごろから福永厩舎の推す馬に、坂井騎手とか松山騎手、武騎手などに乗ってもらって全力疾走、栄光の競馬人生を全うしてもらいたいと願います。武豊騎手は言っています。「祐一はいままでの調教師とちがった味を出してくれるかもしれない」その言葉、私も乗りたい。