もし何年か先に、バブルの入り口とかとっかかりはどこだったのかな、と振り返った時、2014年1月8日の日経の記事がそれにあたるかもしれないと、ふと思いました。これは「わかる財務」という欄でー「見えざる資産の素顔①―」という記事です。こういう記事ってどこかで見たことあるなーと思って読み進むと、そうです、1980年ごろ盛んに書かれたバブルの先駆け的記事と同じだったのです。
企業には公表された財務の価値以外にも価値があると教えようとする誌上勉強記事のことです。見えない資産価値、いうまでもなく不動産の含み資産が第一です。次には投資有価証券とか出資の含み益があります。これらの含み益を表面に出すと、企業にはもっと多額の資産に恵まれて、もっと価値があってよいというもので、1980年代後半ごろには証券会社の株を買おうという推奨というかプロモーションに何回も使われたのです。
当時のこと、私がマスコミに出てくる論点を読んでいて真っ先に気になったことは、1)不動産の価値は売ってみるまでは机上の空論で、売りたければ売りたいほど、実際の売却価値はじかに比べて20%-30%も安い値段になってしますのが通常の取引。2)本社とかメイン工場は売るに売れないはず、なのに価値があるというのはミスリードされてしまう、ということです。つまり、実現性のない価値に対していったい対価はどのくらいが妥当なのか、株価が割安だからと言って含み資産価値を目いっぱい株価に織り込むのは危険ではないかと思ったものです。
また、有価証券についても現在市場価格を100%あてはめては極めて危険。よって30%くらいは割り引かないと現実的ではない。ということでした。株価が上がってくると、国を挙げて「もっともっと」という要求が市場の内外から出てくるものです。何が何でも買わせたい、買いたいというムードにどっぷりつかって、実際に相場はあくまで堅調で、まるで天井知らずのように上がっていきます。
もう危ないですよといった生半可の注意喚起は「火事場でバケツの水をかける」程度でしかありません。余計なことですが、私たちのように一度「真正のバブル」を経験してしまうと、これからのマスコミや証券界の言葉や態度が、バブルのピーク目指してまっしぐらに進んでゆくかもしれないと、恐怖を覚えるのです。バブルは日本人を豊にしました。けれども何の抑制もなく、欲にひっぱられてはまった人たちは、その後苦難の結果が待っていました。バブル現象というのは数年は続きます。人びとはその数年間は、まるで憑かれたように、バブルのとりこになります。あとで思えば「ああ、あのときは我を忘れてばかなことをしたなー」と後悔したり、反省したりするのですね。