日本人経営者の判断は予測がつけやすい反面、個性が不足していて個別の価値をつかみにくい、というのが私の見方です。前3月期に9.7%の経常増益を果たした日本の代表的817社(全3月期決算企業の69%分)の今3月期は27.5%の再度の増益を見込めるといったロイターの記事に出会ったのは5月14日。それは素晴らしい回復で、昨秋以来株価が総じて60%も戻したのは当然と言えば当然です。こんな大幅な増益率を1年前には誰が予想したでしょうか。この日私は風邪で臥せっていましたが、何気なく新聞に発表されていた200銘柄以上の企業の決算通信をはじからはじまで眺めていました。
だいたいこういう時期ですから必ずサプライズがあって、有望株に出会うのです。決算が予想より良かったとか、2014年の予想が伝えられいる数字を上回ったとか、それは宝さがしのような楽しさでもあります。さっそくとりかかってみますと、いつもとは違いサプライズのある銘柄に乏しいのです。増配予定企業を頭のキーワードにして選別始めても、なかなか出てきません。むろん「増配予想―増益が前提―予想を上回る増益」、というつながりがポイントですから、そうは多くはないのですが、市場が60%も上がった割には企業業績にはサプライズが乏しいということになってしまいました。これには失望を感じ得ません。
なぜサプライズが少ないのか(D・インキュベーター、パラマウント、江守商事などわずか8銘柄が俎上に上がりましたが)。第一に今回の市場の急反発は必ずしも企業業績の急回復とはつながっていないということなんですね。株式相場の上昇の多くの部分は為替だ、としているストラテジストでもいます。また、業績回復は2014年3月以降に持ち越されて、宿題として残っているとも言われています。それにもまして、サプライズがないのは、企業経営者の13年度の予算上の為替の予想が90円―95円とほぼ同じゾーンに集中していることにもよるようです。
90円にしても95円にしても100円にしても、だれにもわからない領域のことなので、いずれにしろリスクはあります。ただ押しなべて90-95円というレベルで統一されているような印象を受けます。経団連がそのあたりの水準を使うように意思統一でもしたのかしら、と疑いたくなるような同質性が見られます。人間には明らかに限界があって、「将来を的確に推理する能力はない」のですから、企業経営者は自ら信ずるレベル(もしくは希望する)を使えばいいのですが、、、そうは見えません。「危ないところはみんなで渡って、、こわくない」のでしょうか。すでに5月の第3週に入ってきて円は102円を付けました。安全策を取って、低めに、保守的に予測しておけば無難だという経営者はすでに大きな予測ミスをしでかしています。ひとつ、こうして低い予即をしておけば期中に労働分配率の引き上げをしなくても済むかもしれません。と揶揄を入れたくなるのです。
日本社会のアウトサイダーを自認する村上春樹がいみじくも気づいたように(ニューズウイーク日本語版5・21号45ページ)、彼は日本人の集団性、同質性を感じ取り、、、恐れていると語っています。同感です。この国では自分だけ異質では困るわけですね。この思考は競争回避につながり、国際競争の場ではマイナスになると思っています。ついでに、おなじ5月15日の日経夕刊では、「人間発見欄」で富士重の吉永社長が同じようなことを言っています。「他の人に合わせてなくてはいけないという気持ちが私にはないんです」と。
お見事!