1998年の秋、天皇賞の日に、私は再開した人生2度目の自分の競馬の日を楽しんでいた。テレビにはサイレンススズカが武豊を背に持ち前の大逃げを打っていた。事件はその時起こった。スタートして、逃げの体制、先頭を切って、ものすごいスピードでこの馬が第三コーナーに差しかかったとき事件が起きた。サイレンススズが転倒したのである。放映をのんびり眺めていた私は、びっくりして固まった。いや正確に言うと転倒しうたかどうかは思い出せない、記憶がないほど動転したのである。

美しい馬が転倒して、命を落とすほど悲しいことはない。少なくともスポーツの世界では。

動転した挙句「動物虐待だ」と叫んだ人もいる。そしてわたしは、武が許せないと思った。無論騎手が悪いとか厩舎が悪いとかというレベルの問題ではないかもしれない。しかし、気が動転したわたしは、その後数日間、私は武のおわびとか、いいわけとか、状況説明とか、をメデイアで聞きたかった。武や厩舎がこの悲劇の直接的な加害者ではないが、競馬の背後には、馬をレコードの速さで走らせて、種馬としての価値を上げようとしたり、名声を獲得して、事業を成功させたり、いろいろ思惑が働いていただろう。事業というものはそういうものだから、狙いには別に依存はない。私は普通の人であって、以降ただ武の馬を避けるようになってしまった。

しかし、私たちファンは割り切れない。ヨーロッパでは馬に鞭を打つ回数まで騎手の行動を制約している。目いっぱい死ぬまで、追い詰めるようなスポーツマンシップというのは馬には適用されないのか、疑問である。ところで、5月28日の日本ダービーでは、ルメールの乗ったスキルヴィングという有力馬が、最後の直線で、具合を悪くして、ゴールを通過してから転倒して、急性心不全を起こして亡くなった。翌日の朝刊では、これを1-2行の事故報告として取り上げたのは、読売と朝日、一方目をいっぱいに開いて新聞紙面をにらんだ私は、毎日と日経が、この事故を取り上げていなくのを知った。なぜなのか。ダービーの戦前に金太鼓で、お祭り騒ぎをやった関係者が、ほっかむりしたのはなぜか。JRAはかつての大本営みたいに、事故を大衆に知らせず、新聞に圧力をかけて、書かせなかったのかのか。私の疑問は解けない。

わたしは、その後のG-1である安田記念は参加しないで、自分だけの冥福を祈ることにした。全くやりきれない。