年末年始のとくべつ番組にオグリキャップの特集がありました。BS放送で座談会形式でした。みんなさんもご覧になったかもしれません。実は、わたくしは偉そうなことを言っていますが、競馬は1967年から1998年まで空白なんです、ということはその長期間は競馬はやっていません。ブランクは、つまり30歳で結婚してから武豊のスペシャルウイークが出てくるまでのことです。武が「スペシャルはダービーが取れる」と公言して、初めて馬券を買う気になりました。ということはコダマやメイズイ、タケシバオーやハイセイコーなども、またオグリキャップも見てはいないのです。

正直な話、私は競馬のベテランでもなんでもなく、ただの「昔の名前で出ています」と言った風情の競馬好きのくたびれた親父なんですね。それで、何気なく見ていた鈴木淑子司会のオグリキャップ礼賛の座談会は当然美辞麗句、歯の浮くような褒め言葉の応酬に終始するに違いないと思っていました。岡部がオグリで一回勝って、またエイト紙のヒロシはオグリの有馬記念に白△、大川アナウンサーに、あと一人、(武がスクリーン出演)レースのDVD実況をはさみながらの思い出話です。

実にすごい馬だったんですね。強いのなんのって、「車でいえばスポーツカー」と岡部さん。人間の期待、応援を感じて一生懸命に走った。笠松からの出自、1987年の8月に勝って1990年の有馬記念まで、なんと、12連勝もしたのです。特に岡部や武を驚かせたのは、89年の10月11月12月と続けざまに天皇賞(2000米2着)、マイルCS(1600米1着)、ジャパンカップ(2400米2着)と走ったこと。決して手を抜かない走る姿勢にはファンはすっかり魅了されました。温泉につかって目を細めているオグリ、首を伸ばして前へ前へとゴールを目指すオグリ、これでは誰だって好きになってしまいます。ぬいぐるみは競馬ファン以外も買いましたので、300万ほど売れたと言われています。ある私の娘がオグリのぬいぐるみをもってけってきて、「かわいいでしょう」と言いましたが、私は“なんだい、それって競馬とは違うワイ”はなにもかけませんでしたと。

さて、この連闘は今日では考えられない酷使です。そのとき動物愛護協会は黙っていたのでしょうか。私は実録オグリキャップの話を聞き、また映像を見ながら、これはしまった。この馬を見ておくべきだった。競馬人生に悔いが残ると思いました。オグリを知らない私が、これからは競馬では知ったかぶりをやめて謙虚にならないとオグリに怒られるな、と心底思いました。

オグリの仔は絶えましたが、最後の子供「ミンナノアイドル」が故障引退から、回復してゴールドアリュールとの間に2013.3.9牡馬を出産して、かろうじて血を残すことになりました。無論、無事ならばその子は2015年に初出走するらしいです。