わたしが八ヶ岳のふもとに別荘をもってほぼ10年がたちました。生活の中心は東京ですから、別荘はあくまでも暇な時に利用するという程度の仮の住まい的な存在でした。よって、現地の友人やお付き合いする隣人が増えるわけでもなく、大泉はあくまでもワンストップでした。ただ「八ヶ岳倶楽部」が近所にあったため、創立者の柳生博(俳優)とか、息子の真吾氏(テレビで園芸番組を持っていた)などのことは知っていました。

2015年5月に亡くなった長男真吾氏の追悼の写真カレンダーを見つけました。最近現地のスーパーに置いてあった、手に取ってきもちのいいカレンダー形式の写真集ですがちょっと気になっていました。と言うのは、すでに素人写真集を2度出版している私は、さすがに3度目は無謀なことはできなくなって、周囲から好意的なおすすめがあっても、慎重に構えていました。写真集と言うのは出版してもまず持ち出しになる。興味を持っていただける人が少なく、広がりがない、など、あまりいいことはありません。無論自分の作品を公にするのですから、喜びもあり、また楽しくもあるはずですが。

しかし、こういうか形なら撮りだめている写真を生かして、カレンダーを作れると思っていたことも確かです。柳生真吾氏の場合は、追悼する意味での出版には意義があると思いました。このカレンダーは写真が31枚、それに表紙と裏表紙。そして弟の宗助氏のあいさつ文が1ページ分あります。この日めくりカレンダーには月が無く、あるのは日にちのみ。つまり毎月1ページ(一日目)から31日目までめくれるのです。

宗助氏の編集には当然真吾氏の生きていた時の写真が中心で、ほかには昆虫とか植物、そして八ヶ岳倶楽部の生活の映像などが、はめ込まれています。私の場合は、カレンダーの形は同じとしても、言うまでもなく、写真の中身は全く違うでしょう。私と言うよりも私が写した写真が31枚採用されるのです。よかれ、悪しかれ、私の感性が世間様の目から試されるということです。はたしてチャレンジする価値があるかどうか、、、いまだに逡巡している私です。