いまだ目新らしい事件の「元総理大臣の暗殺」。当時は参院選挙前だったので、この事件は選挙演説の格好のネタになってしまった。その時、各候補は「民主主義の危機」などと言って投票者を困惑させた。私は「何が危機だ、この事件は政府の要人護衛そのものが問題であって、民主主義はこじつけに過ぎない」と思えた。しかし選挙の結果は自民党が予想以上に善戦したのである。要するに同情票を集めた。犯人はそこまでは思い至らなかっただろう。皮肉なものである。

時を同じくしてイギリスでは、多数党の自由党の内部から反乱がおきて、同じ党内からの不信任案が続々提案されていた。これぞまさしく民主主義を守る行為だと思えた。日本だったら自民党の内部から不信任案などは出てこない。もしそういう議員がいたとしても、出す前に裏切りものと言われて仲間からつぶされていただろう。昔東北弁のK代議士が、そのような目にあって、涙したことは覚えている。

いったい、民主主義とは何だろうかと思うときがある。不勉強のそしりを免れない私の立場を承知しながら、少し念を押してみると、まず憲法で定められている国民の権利の保障、自由な立場、健康状態の維持、宗教や信条の自由、発言の自由、などが日本人として担保されているはずである。今回の襲撃事件は幸か不幸か、政治的思想的な背景は無かった。個人の家庭の悲劇が暗殺まで引き込んだのである。広義の社会背景からこじつけて、民主主義の危機とは言ってみても、的外れであろう。

イギリスの政界の事件は政党の自浄作用の表れであって、内部から、奔放なタイプの首相に対して批判が噴出したのである。これぞ民主主義ではなかろうか。2大政党制度内の政治の軌道修正のやりかたが働いたと思っている。日本の一党独裁の欠点は、第二の政党が存在しないということ、自民党は第二政党の実力ある野党を育てないで、圧倒的な差を付けて独走することが民意に叶っていないことに気づかないことではなかろうか。私はそんなことを考えながら日本Iの党にここのところ立て続けに一票を投じて来たが。これからどうなる。葬式をどうするなどは早めに処理してしまって、国政を担う上院下院の代議士が国民目線に立ち戻って議論してもらわないと、明日が来ない。