私なりに注目していたのは、よく外国で集計されている「男女差もしくは男女格差」の統計である。国際比較すると日本は112位とか114位とか、とんでもなく低い。もともとジェンダーギャップとは何か、生かじりのわたくしは、よく理解しないままになんだろうなと疑問を持っていた。さて、今回の岸田内閣の新閣僚である。選ばれた閣僚総数は19人、そのうち女性が二人。これってギャップが大きいのかどうか。男女格差を比較しやすい統計がよくあらわれる。会社役員の男女比、医科大学の合格数の男女比。いずれも女性が50%&を大きく割り込んでいるのではないか。これらは目に見える男女格差と言えるのだろう。しかし、ヨーロッパなどでは女性の会社役員の数を30%目標にしようという運動もあるらしい。ある日メルケル首相の伝記を読んだ。立派な人で、理系である。政治の世界に日本版メルケル夫人がいたのなら、そういう方に我が国の将来を預けてみたいと思った。
つまり男女比率は数ではおおむね50%ずつなのに対して、社会的な地位というか、比較検討できる統計上は女性の比率がはるかに低い。それを評して格差があるというメデイアは、私は男女の役割についても、(平等ではないと思うので)、50%イコールは難しいかなと思う。歴史的にも伝統的にも男女は違っていた。出産、育児、教育、料理、など特別な部分は女性が背負ってきた。私の住む大きな集合住宅内でも、レストランに続く廊下を夫婦は手をつないで歩いたり、横に広がって歩いたりはしない。まず男性が先を歩き、3歩くらい後ろから奥方がついてゆくフォーメイションを作る。ご本人達は気づかないが、こういうのって封建時代の名残だろう。生活の中に根づよく残っている古くからの風習だろう。よく注意してみれば世の中にはいつの間にか男性上、女性下という格付けがなされているように見える。パワハラの主役は男性、被害者は女性といったような。
あるとき、男女差別についての「女性の感想文」を読んだことがある。彼女たちが不平不満持っていることがらは、我々男性が想像する世界とか違っている。日本について考えるとき、わたくしは男性も女性もジェンダーギャップには気つかないことが多く、そのギャップを改善する意欲も少ないような気がする。例えば、今回芥川賞を受賞した「おいしいごはんが食べられますように」という作品だが、あのような内容が女性本来の生活信条とすれば、私は女性の声にもっと耳を傾けたいとは思わない。今でも迷うがジェンダーギャップを考えるとき、男女差って何だろうかと考え込んでしまう私である。私の独り言、これからスタートするなら、まず弱者(女性)の声に耳を傾けましょう。