むかし松本清張の小説「黒い手帳」が気になって仕方がない時期があった。今でも、私は黒い手帳にあこがれている。しかし、しかしである、お察しのように私は黒い手帳(もしくはノート)を手に入れていないし。革表紙のゴージャスな手帳を狙っているわけではない。タダタダ黒い手帳に何か記したいと思うだけなのだ。世のなかには日記を書く人と書かない人の二種類の人間がいる。私は書くひと側にいる。ではなぜ黒い手帳を手に入れないのか。答えは簡単だ。1)字が汚いのは致命的。自分が書いたのに読めなくなる。2)いくら日記やイラストを描いても、人様に見せるようなものではなく,何となくみっともない。3)後世に残ってしまい、出版でもされれば恥ずかしい。つまり内容が汚いのだ。4)何といえばよいか、ストレス解消に書いているだけで、建設的な内容ではない。5)うっぷんばらしで書いたものにはろくなものはないだろう。

という事情で、今使っているノートは小学校の前の小さな文房具屋で売っているような代物なのだ。ならば、やめてしまえばいいじゃーないかというご意見もあろう。でもやめられない。毎晩寝る前に書くことが癖になっているし、また安眠の導入剤にもなっていると思っている。先日、ジュンク堂の文具部門で、700円の黒表紙のノートを見つけた。思わず買いたくなったが、そのノートの行く末を想像したら、ノートがかわいそうになって、手が出なかった。人の悪口や、自分の愚痴などを書かれてきっとノートはくるしいだろうと書く前から同情してしまう。

現役のころモンブランのボールペンとインクペンを手に入れた。素晴らしいデザインで、存在感がまたいい。今でもインクを買い替えながら使っている。こういう優良品で書いたらきっと字もきれいに書けるだろうという、さもしい期待はすぐさま外れ、せっかくの随筆も日記もミミズのように紙の上をはいつくばって、イラストも何を書いたのやら、自分でわからない。字を書いたり、絵をかいたりする才能がないのに愕然とするのである。

さて今週のトピックスは、1)知り合いの針きゅうの先生がヤクルト1000を飲み始めたら、睡眠の不調(寝不足とか浅い眠り)が見事に改善した、という話、「良き睡眠と腸の間」には、つながりがあるような、話でした。2)円安で跳ね上がったボジョレヌーボーの価格に悩まされない方法は日本の山梨のヌーボーを見つけること。それは市場にあります。山梨のブドウ Bailey A(ベイリーA 初しぼり)があるではないか。というはなし。