日本の教育には問題が多い。その一つに、今更ではあるが、大学基金の困窮が問題になっている。ましてや、大学基金の私物化、乱用など目に余る行為が目立っているようだ。実に恥ずべき実態ではないか。例年よりよほど暑い夏を迎えて、ホットかどうかはともかく、この問題を指摘してみたい。

言うまでもなく教育を勧め、学生の、というか国民の健全な成長を支えるのが大学だろう。それに比べなんと大学基金の水準が低いことか。日本には大学基金と呼ばれる勘定さえないらしい。あっても欧米に比べてわずか100分の1程度の規模であって、問題にならない。いくつかの弱点を指摘したい。1)基金がいかに必要かの基本問題を理解する政治家、テクノクラート、経営者、また学生本人たちの数が少ない 2)基金に対する寄付を好まない、または知らない人が多すぎる 3)基金を運用して大きく育てる政策に欠けている 4)適切な運用担当者が不在 5)運用者への報酬が不明確 6)海外の大学における基金の状況の研究が足らない。などをおもい浮かべる。

大きな概念で言えば、専門家が不在なのだ。ハーバード大学などでは、自校で運用体制を持つほか、専門の金融機関の運用を委託して、競争状態に置いて、切磋琢磨、巨額の基金を積み上げている。そういう基金は年率15%ものリターンをもたらしているのだ。もし大学に資金的余裕があれば、奨学金の活用も容易だろうし、しいて言えば、究極のー成果はノーベル賞受賞教授の充実がある。アメリカ北部の知名なM大学でも他校同様、ノーベル賞教授の講義を生徒たちが受けられる。何ともうらやましい限りだ。別にノーベル賞学者が広告塔と言うつもりはないが、新しい学説に触れることはいかにも刺激的である。長期的視野もなく、成長を見失い、迷える日本も例えば「気候変動と二酸化炭素(地球温暖化)」の関係を テーマとしてノーベル賞を手に入れた在プリンストン大の真鍋先生がおられる。わかりやすく結論づけると、スケジュール化しているノ-ベル賞の将来地図によれば、日本のしりすぼみは明らかなようだ。今まで、思いもつかず、考えられなかった研究こそが、大学基金の活用であって、この科学こそが国のチカラの源泉と言えるのではないか。クラウドファンデイングでもいい、大学にお金をまわそうではないか!