小学5年生の孫の航太郎君にせかされて、寝台特急に乗りました。戦時寝台特急富士に乗った遠い記憶がありますが、忘れていますので、わたしにとっても今回はほぼ初めての体験と言っていいのです。夜のプラットフォーム、ドキドキですね。車両が東京駅の9番線ホームに発車のわずか15分前に入線してきたときは、正直失望しました。寝台列車はもっとロマンチックで見送る人と、旅をする人が別れを惜しむ慣行でもあるのかなとひそかに期待していた私はちょっと時代錯誤でした。笑
シングルツインというおかしな名前の部屋はむろん狭いのですが、ベッドが縦型上下に設計されていて、窓は大きく,意外と気持ちいいです。航太郎君はすっかり気に入って、発車してすぐさまジャージーの寝巻に着替えてリラックス。私と言えば、横浜の手前からビールをちょっとひっかけました。横浜駅ではいまだ通勤客がホームにいて、私は少々恥ずかしくなって窓のカーテンを下してしまいました。
部屋の中には洗面施設もトイレもなく、なんとなく簡便な作りの寝台車です。やはりカシオペアなどと比べれば、格下に違いないと思いましたが、はしゃいでいる彼には言いませんでした。ぐっすり寝て、後半の7両がサンライズ出雲なので、岡山駅で切り離し。身軽になった(?)サンライズ瀬戸が瀬戸内海を渡る6時頃には私たちはすっかり目覚めて、朝日のまぶしい瀬戸大橋を抜け「坂出」に着いたのは7:15分。さっそく、讃岐うどんをと張り切りましたが、早すぎて駅構内の店でさえ開業していません。ガッカリ。
時代が変わったのですね。サンライズ瀬戸のJRの扱いは(ないしは地位は)軽く、もはやオリエントエクスプレスのようなノスタルジックな乗り物ではなくただの夜行の通勤列車のような雰囲気です。私のような昔を思い出せる人間には心の空振りとなりました。効率の悪い寝台特急は国鉄時代の遺物なんでしょうか。気を取り直して、「坂出」から「松山」に特急で直行しました。明日訪れる予定の住友のふるさと、別子銅山の山々を左に見て、秋山真之、正岡子規ゆかりの松山に到着。今回の旅行で、航太郎君に住友の別子鉱山跡を見てもらって歴史の重さというも肌身に感じてもらいたいとは願っていましたが、はたしてその願い本人に通じたかどうか。
松山や 秋より高く 天守閣 子規