小池東京都知事が新年早々おかしなことを言いだした。いやいやおかしなことではない。日本にとって最も大事な国家的目標を取り上げたのである。それは「少子化対策」のこと。私の反応は、この問題は知事のイッシュウ(議題)ではないということ。このテーマは、(むろんフランスなどよその国でもすでに取り上げて実行に移しているが)国家の100年の計であるべき大きなテーマなのだ。すでにわが国でも20年も前から認識されていて、問題点なども議論は済んでいるようだ。
一つには、困窮者への生活費支援のほうが日日的で、現実的で、票になるのは間違いないからだろう。やはり選挙目当ての政策優先が現実である。一方100年の計として、エネリギーの確保、発電能力の充足とか、少子化の対策などは、期間が長くて、票にはならない。しかし、政治家たるもの、国家の成長の基本となる総人口とか、労働者人口とかは放っておいてもいいのか、という疑問がのこる。
有識者会議などを設定して先送りするのがポピュリストの岸田内閣の得意技らしいが、そのような悠長なことを言っている暇はないと認識してもらいたい。20年たっても動かない、財政赤字が巨大になっていることも同根だが、常識から言って少子化は国家運営上の危機であろう。コロナ問題とは異なり、地方のトップにお任せはしない。国会議員自らが率先して少子化対策を進めるべきだろう。今や、国民の間では子育てとか教育は難題となってしまった。世論もそういう方向で認識している。その一般常識を変えるには思い切ってニューデイールポリシーの導入が必要ではないか、(例えば今後5年間で、初めの一子には100万円を支給するとか)
この際まず、財源をどうするというような防衛関係で陥った財源の小田原評定はやめて、少子化にはまず基本になる国家の基本ポリシーが有用であって、国民の合意形成も大切ではないか。そういう意味では、憲法と同じ議論の価値がある。次の首相は少子化対策を標ぼうする人物を総理にしたらどうかと思うのである。となると今回の小池知事のご発言は実に意味が深い。