映画館を出て私は連れに向かってひとこと「これをプーチンに見せたいな」と。マリーキューリーそれほど放射能を発見したことに悩んでいたのだ。多かれ少なかれ、医療とかいろいろな分野で活躍している(役に立っている)放射能は、マリーにとっては頭痛の種だった。

話は変わるが、私は日本の理系の女子が不足しているのにいらだっている。どうして、日本には元首相のメルケルとかキューリー夫人がいないのだ。古来、女性に教育はいらない、家の中で家政婦のように働くだけでいい、子供を作って跡継ぎを生んでくれればいい、学問は邪魔だ、男が築いた国家だから邪魔しないでくれ、と私にように昭和の初めに生まれた人間の耳にはいつもこういう女性蔑視無視が入ってきていた。山にゆけば女人禁止である。家は家長の俺が守る、子育てしながら舅とうまくやってくれればいい、まあ例えればきりがない。

1983年にアメリカの金融会社に途中入社した私は、民主主義の現実を目の当たりにして、驚いた。外国の女性は強い、いや男性が(民主主義国の)紳士らしく振舞って女性に発言とか、意見開陳とか、意思決定とか、意見尊重を勧める。だから女性が強く見えたのかもしれない。まあ多くは社会のルールになって、生活習慣のようにマナーを使っていることもある。リタイアして暇になった今、私はメルケル自伝を読んだ、感激した、男とか女という区別ではなく、人間的に実に素晴らしい資質を持っている「私はもともと物理がやりたかった」そして「ポーランドのキューリー夫人が目標だ」とも。2021年にメルケルを読んだわたくしは、2022年にはまるで、私の魂がメルケル夫人の希望を叶えるかのように、「キューリー夫人」の映画を見に行った。映画の中では、おなじ研究者の夫を失ったキューリー夫人が、悲しみに明け暮れるとき、ポーランドの国民が「彼女が放射能という殺人物質を発見した犯人だ」といってデモをして彼女をいじめたり、メデイアでたたいたりして、当時としては、この物質を殺人兵器などと呼ばれるのは論外だった。それらが、今で言えば風評被害とでもいうのか、結果、キューリー夫人は人類はとんでもない物質を見付けてしまったと、後々まで後悔したのだ。

わたしは映画を見た途端に思った「プーチン、この映画を見てくれ,」と