ある気持ちのいい夕方、散歩がてらに通りに面した古本屋を覗く。最近は文字文化がすたれてすっかり映像文化にやられているのは承知だが、あえて文字を追求してみようかなどと思う時がある。友達の田山さん、岩城さんなど、私の周囲に文学を勉強中の方々から話を聞くと、どうしても興味を押さえることが出来ないで、何かと聞いてしまう自分がいます。中には、このお二人のように何百ページにもわたる文学を書いている人もいます。まったく、世の中は広い。小説をまじめに書いている人がいるのだと、私の中では感服しきりであります。
で、古本屋の表の籠の中を物色して、吉本ばななの「つぐみ」を手に取って店内に入った。100円を留守番をしているおばさんに手渡して、本を入手した。そのとき、店のドアを開けて小学生の女の子が入ってきた。一瞬、私はどうして古本屋に小学生が?といぶかったが、彼女たちは「表にあるガチャ機械にコインを入れたが、ブツは出てこないし、また小銭も帰ってこない」とおばさんにクレイムを始めた。実に真面目な態度であった。
おばさんと私はいっしょに表に出てガチャ機械と向き合った。おばさんが恐る恐るダイヤルを回しても、うんともすんとも言わないので、ポケットから100円玉3枚をとりだして子供に渡した。当然です。私は「こういう時は、機械の頭を殴るのです。そうするとガチャはびっくりして小銭がとび出してきますよ」、と言いつつ、ガチャ機械を片手で適当な力で殴りました。そうしたら、あれ?100円出てきました。「ほらね」と私。今度はダイヤルを少し力を込めて動かしました、「あれ?」、今度は200円出てきました。
なんとなく辻褄が合った瞬間でした。
そこでこどもたちにむかって、「ほら言ったとおりだろう」、とは私は言わなかったけれど、可愛い少女の驚きのまなざしを意識して私は、「こういうことになっているんだよ」などと適当なことを言って、意気揚々、小説「つぐみ」を抱えて帰宅しました。後日談ですが、1989年の「つぐみ」よりは、1990年の阿刀田高(短編集:猫を数えて)の方がよほど完成されていて、上手だと思いました。