日本人は古い伝統文化のとりこになっている。別に悪いことではない。文明は機械とか電気とかの進歩であろうが、文化はその国の特有の美ではないかと理解している。歌舞伎、浄瑠璃、日本画、そしてもっと大衆的な慣習といえば、年賀状、お中元、盆踊り、門前町などなど、それなりに固有の文化と言えるかも。私もこれらからの(心理的縛り)抜け出すのにずいぶんと勇気がいった。突然年賀状をやめたら、失礼になり、どんなに心配かけるだろうか、と気に病むのだ。スペインでは私が闘牛をやめたらと提案したら、きっと殴られるだろう。

因習から抜け出すには、困難が伴う。過日、そういう国民性ともおもわせるテーマがあるTV局で発信された。かねてから気になっていた問題は、子供のランドセルである。家内は孫が小学校に入学したとき、何の疑念もなくその子にランドセルをプレゼントしている。それが世間の風習らしい。で、問題は、子供たちは学習道具でいっぱいの重装備4キロ(最近はノートパソコンが加わった)もある重たいランドセルを肩に担いで毎日通学している。この重さは想像をはるかにしのぐ。例えば我々大人が体重比では子供の4キロは15キロくらいに相当するのではないか。冗談じゃない!! 理論的に正しくはないかもしれないが、我々が14キロもする重い荷物を毎日担いで動き回れるか。子供たちは実にお気の毒だと思っていた。

テレビでは「学校にランドセルを担いでいかねばならないというルールはない」。と学校側は言い切っている。ではなぜ?それは古臭い因習のゆえであろう。TV出演していた父親は言う「気にしていたのは、この子が新しい布製のランドセルを持っていたら、いじめにあうかもしれない」という心配。よくわかる。ほかの仲間とちがうことをするとつまはじきにされる。古今東西の現実だろう。その子は言った「最初は物珍しいので、お友達が寄ってきたが一週間もしたら誰も関心を持たなくなった」と告白した。おもい切って、合理性を考えて新しいものを取り入れたお父さんに乾杯。子供たちを解放してあげて、ありがとう。