最近コロナ禍に発して給与の大系というか、形態が変わろうとしている。それは何かといえば、経団連まで乗りだしているいわゆる「能率給、能力給、専門職」などの総称として、日本のサラリーマンの従来の慣行であった一般職型給与体系を破る、ジョブ型給与と呼ぶものだ。
私の見るところ、この試みは日本では失敗に終わるものと考える。私は2012年まで20年間このジョブ型給与に似た環境の下で外国企業で働いてきた。そして今思うに、この制度はプロフェッショナルズを相手として秘密裏に自由闊達であり、まず日本では定着しないと思うのだ。日本での新入社員はすでに確立している企業の給与体系に沿って給与が決まり、入社する。多分例は少ないと思うが途中入社の社員の幾人かは、能力給をもらうことになる。
既に存在する給与表にもとずいて社員を採用している企業が、専門職なるものに理解を示して、ジョブ型の給与に変えることなど、不可能に近いのではないか。第一、従来の給与をさらに上回る給与を支払う理由がない。ジョブ型とは、「企業側が採用を必要とする能力の優れた、選ばれたプロフェッショナルズ」に支払う定期的な高額給与に他ならない。つまり経営者は個別にオファーせざるを得ない優れた労働者に新しい給与を提示することが条件でもあるのだ。本当に特別なプロの人材が欲しいのであれば、会社の将来の成長に結びつけられる才能を買うことになる。そのためには給与を惜しんではならない。指針などは不要だろう。企業は何が欲しいのか自覚するだけでよいのだ。それまでも至らないとすれば、国際競争力をたかめるなどの経営戦略は絵に描いた餅に他ならない。
そこには 年齢別、入社別の給与体系表など存在しないのだ。そして今経団連が制度化を目指して口を挟もうとしている。会社と個人の1対1の自由な取決めに制度などはいらない。むしろ邪魔になるだけだ。日本では隣に席を持つ同期の社員の給与などは丸見えだ。自分が会社内でどのあたりに位置しているのかすぐわかる。ジョブ型給与は隣も、誰も自分はいくらもらっているかは知らない。知る必要もなければ。知る理由もない。
まず個人として自分が何ほどの給与をもらっているか自分が満足していればよい。不満ならばそのように表明して、よその会社に行ければよいし、交渉によってまた昇給の機会もある。自分がいくらに評価されているかよりも、自分で自分の能力を高めてから、いくらで売り込んだ価値がある、ということが正しい受け止め方なのだ。そういう1対1の交渉という体験の少ない大企業の古い経営者たちはジョブ型というあたらしい(ような響きを持つが外国では当たりまえの慣行)労働コストを相談づくで決めてゆこうということならば、まるで、入社試験日を統一するなどの例にもあるように、個人を集団として扱ってしまうそれ自体が個別交渉を第一とするジョブ型給与の否定につながり、私は失敗するなと観測している。