今をさかのぼること数年、いまだコロナ騒動が始まる前のこと。団体観光旅行を楽しむ外国人にテレビ局が果敢にインタビューを試みていた。「あなた方はなぜ日本に?楽しんでいますか?」とマイクを向ける。外国人の老夫婦曰く「ええ、楽しんでいます。素晴らしいわねここは、私たちはふたりで(手をつないで)お散歩ができるのが一番の幸せよ」と。
わたしは国籍はともかく同じ老人として、はたと手を膝に打っていました。これぞいまどきの観光の極意だと、学んだのです。そこは広い歩道のプロムナードがあって、車も入らず安全、誰も急がせたりはしない。視界にはこぎれいなトイレ案内の看板が入ってくる。
「インバウンド顧客はどうなっている」と騒ぎ、観光客の懐をあてにしたり、今世界の観光業がコロナのダメージから抜け出そうと必死だ。しかし、不完全だが、コロナ禍のピークアウトを見据えてすでに国境を開放した国もある。決断と実行の国といつまでも鎖国状態(日本人保護優先)に甘んじている国と、分かれてきた。
富裕層とみられる観光客がどのような価値観を持ち込んだか、相手の立場でリサーチすることは大事で、相手さんの懐ばかり気にする金勘定は 少々、下品ではないかと思うのである。上記の老人が求めていたのは、当然自国には見られないエキゾチックな風俗や景色ではあるが、一方、彼らはもはや老人の域に達していて、異国のご馳走をたらふく食べることではないし、土産物を買いあさることでもない。船、車、徒歩と乗り換えて身軽になって、自分の人生を振り返り、二人の幸せをかみしめ、かつ観光を楽しむのである。物欲はとっくになくなっている二人なのだ。
今、JRの廃線が問題になっている。赤字路線(古くて汚いかつ寂しい)を廃線するのは簡単だろう。その地域の生活環境との間で妥協ができればである。しかし、これは実にもったいない話だ。廃線候補の路線は赤字で、もはや黒字化のメドも立たない。廃線の先にはダムあり過疎の村あり,廃坑ありで、私はその路線を歴史的遺物に昇格させて、観光資源にできると信じている。例えば、「赤字路線復活債券」という債券を発行して(クラウドファンデイングもありだろう)、観光名所に育てることができるのではないか。今は「ナチスの大型建築物の遺跡」がTV放映されている時代である、ましてや平和の裡にすたれてゆく鉄道路線という遺物(1940年ごろに建設されたー歴史的価値がある)をないがしろにはできないのではないか。