今年の箱根駅伝は今更書くまでもなく青山学院大の初優勝でした。往復レースをつぶさに観戦した私は、感動して青学に惜しみない拍手送りました。すばらしい優勝でした。縁あって数年前から山梨県のチーム(サッカーとか、駅伝とか、高校野球とか、)を応援するようになった我が家は、青学の陰に隠れてあまり報道に取り上げられない、地味な話題を追いかけていました。

それは往路で20位 (つまり、びりということ) になってしまった山梨学院大は復路で、よほどの幸運に恵まれないと、来年のシードは無いという現実に直面していまたことです。駅伝はどうやらシード権 (10位以内) を失うと翌年は大変苦労することになるようで、関係者は大騒ぎします。復路をスタートして、山梨のランナーは頑張って、いつの間にか16位―14位―13位―12位と追いついてきました。多分山梨の応援団は手に汗を握っていたことでしょう。そして横浜の中継の手前では11位、51秒はやく大東大が (後ろから) 走ってきます。走っている順番では山梨は9位くらいでしたが、時計ではわずかに大東大に遅れているのですが、その大東大は後方を追いかけてくるのです。

大東大は頑張りました。しかし、ここで運命の糸が絡んでくるのです。中央大学の最終ランナーが足をトラブルに見舞われて、10区を1:22秒という大ブレーキでビリに落ちました。1:10秒で区間3位のスピードで走っていた山梨は自然と順位が繰り上がって9位となりました。つまり、あっという間に11位から抜け出して、シード権のある9位に上がってしまったのです。強いアフリカの主力選手が突然かけたので、山梨は苦労しましたが、いい教訓を得たわけです。あまり強いエースランナーに依存していると、チームプレーの典型である駅伝は成功しないということを。ともあれ、私は、中央大のランナ―が腰を折って走るのをやめてしまった瞬間、たとえまた走り始めたとしても、もはや中央のビリは必然と悟り、不謹慎にもテレビに向かって、イケイケと山梨を応援してしまいました。