「雪は降る、あなたは来ない」アダモだか誰かの歌を思いだす今日このごろ。近ごろ雪の情報が飛び交いますね。「今夜の関東地方は雪で、積雪は20センチくらい」なんて、軒並み放送局が夕食の時間帯に入り込んでくる。予報士としてはまるで鬼の首でも取ったかのような喋りである。
最近は気象予報士という資格を取った人たちが大勢、気象を予報する。しかし気象情報の源は、彼らではない。もとは気象庁のデスクであろう。つまり、気象予報士の解説は、だれがしゃべったとしても、出どころは同じで、2度も3度も聞いてもしょうがない。時々正直な予報士がいて、たいていは年配のベテラン予報士あたりであるが、「うーん、多分降るでしょう」などとあいまいなことを言っている。正直なんだなと思う。
とにかく気象の予報は、うんざりするだけである。中にはおせっかいな予報士がいらっしゃる。「お帰りの時間帯では傘がいるでしょう」、とか「一枚肩にかけてお出かけください」とか。わたくしはこういう一見親切な放送を聞きながらいつも思う、「何を着ようが、傘をもつか持たないかは私が決めるので、黙っていて頂戴。それよりも自分の放送している予報の確度をもっと吟味してください」と。予報は全国から始まって、関東地方、とか東京南部とか、次第に狭いところにおとしこむのだ。しかし、それを聞く我々は、なに市のなになに町に住んでいるので、頭上の天気のみカバーする予報を聞きたがり、そのテリトリーは非常に狭い。わたくしの位置では、見渡す限りと言ってもわずか数キロではないか。
そういう細部にまで突っ込んでくる予報は無い。なぜならそれは国立の権威ある放送局のすることではないのだから。町の上空の予報は地方のいわゆるローカル局に任せればいい。しかし、そういう対応ができない。アメリカなどでは「あなたの走っている方向の3キロ先では雨が降り出しました」などといってくれる。また、この国では天気予報を掛け合いでやっている。女「今夜は、夜半から雨なんですねー」と聞くと予報士が「そうなんです、雨になります」などと合わせているが、言葉の無駄だけではない、まったくの無駄。雇用の無駄でもある。勘違いも甚だしい。予報をやるのが天気予報番組で、茶飲み話はやらないでよい。いったい、どの国に、掛け合い予報をしているところがあるだろうか。