今年もお盆がやってくる。私は そのたびに思い出すことがたくさんある。それらは必ずしも悲劇ばかりではないが、やはり戦争は悲劇的である。最近「ウインストン チャーチル」という映画が来た。映画化は何度目かは知らないが、チャーチルは第二次世界大戦の英雄である。戦勝国側の映像としてこれほど確かなものはないだろう。何度も何度も映画化されたテーマなのだろう。
私はTVで2度見た。映画専門のチャネルでは、8月が近づくと戦時物を毎日のように放映しているので、チャネルをひねっているうちにこの映画にぶち当たる。つまり好むと好まざるにかかわらず、私はウインストン チャーチルに出会うことになる。「彼が好きなのか」と問われればちょっと返事に躊躇する。「好きではないが、尊敬している」と答えて、「あれだけの決断力と実行力を持った、デブは好みではないけど、愛国者がわたしの周りに存在しないのはつらく悲しい」と付け加えてしまう。
ヨーロッパに上陸したイギリス軍はアメリカの応援なしに大陸に侵攻する。ヒトラーが勝ち続けて、1940年フランスを占領して、イギリス軍を追い出した。さすがのドイツ軍も長引く戦争の果てに次第に疲弊してくる。サンクトぺテルスブルグの数キロ直前で、雪と飢餓のためドイツ軍はロシア攻略をやめて引き返してしまった。イギリス軍も圧倒的な武力(タイガー戦車とかメッサーシュミット戦闘機とかロケットとか)のドイツ軍には押し返されて、ついにフランスの西海岸カレーからダンケルクへと追いつめられる。軍部も、閣僚も野党も声をそろえて反対する中、チャーチルはダンケルクから25万人のイギリス軍を撤退する決心をする。その時イギリス軍部は10-30%しか生き残れないと大敗北を計算している。
そんな冒険をして国家を危険にさらすなら、むしろイタリアを介してドイツと和平交渉した方がいいと、枢密院議長のチェンバレンは主張した。「気ちがいドイツと妥協したら終わりだ、絶対に交渉はやらない。戦って勝つのだ」とチャーチルは、議会で一人で叫ぶ。結果チャーチルは1万隻以上の小舟、商船、中古軍艦を調達して、25万人の負けてボロボロになった海軍兵をダンケルク海岸から帰国させた。海事史に残る快挙だ。
私は8月15日ごろになると、いつものチャーチルを思いだす。そして心底うらやましく思う。強烈な指導力に恵まれた、たぐいまれなリーダーの存在が国を救ったことがうらやましくて仕方ない。
(注)ダンカーク(ダンケルクの英語読み)という種牡馬がいる(競走馬の父親)。いま日本ではその仔たちが3,4歳馬として府中競馬場とか阪神競馬場とかで毎週走っている。彼らの脚質は、言うまでもなく、「逃げ馬」である。
(注)どうして25万人という大群の軍人がドイツ軍の本部。司令部に見つからないで、ダンケルクの海岸からイギリスに引き上げられたかは、今も謎である。私は生きているうちにその秘密を知りたい。