椎名(略称シーナ)とはいいなまえです。シーナ イーストン、シーナ アイエンガー シーナ & ロケッツ などご存じない方には、あとでお教えしますが、「椎名誠」はいったい何者なのか、作家でもあり、編集業者でもあり、冒険家でもあり、またフォトグラファーでもある、どれが本業?という疑問がいつも私を取り巻いています。まあ、才人なのでしょう。

なんでもできてそつなく、それが水準を超えている人、たまにそういう人がいます。椎名はきっと文筆業をやっているのだろうと思いますが、才能があり余って、時々写真を撮るのですね。私がシーナを見つけたのは「朝日カメラ誌」だったような気がしますが、日本カメラ誌だったかも。当時でさえシーナは才能を発揮して旅行記のページをもっていて、写真を1,2枚つけて随筆を書いていました。もう20年も前になりますか。

彼のページは出来がいいので、いつも読み込んだり眺めたりしました。写真はモノクロで多分ライカで撮ったのでしょう。写真の雑誌なので、たくさんの写真家が写真を投稿していましたが、ほんとうのところ、シーナほどの写真家はそうはいませんでした。

私の住む多摩市にはリサイクル品の集積所があって、市民もそこまで運んで捨てていいのです。新聞、雑誌、家電用品、電池、瓶カンなどなど、分別処理ですね。或る日私は数十冊の本を捨て行きました。先人が100冊以上の古本をすでに捨てていたのですが、何気なくそれらを眺めていると妙に質がいいのです。タイトルが気に入った本を一ついただきました。ルール違反ぎりぎりでしょうか。無論ごみ処理場の係の人がうろついていれば一言断ったのですが、あたりにはだれもいません。

その本は椎名誠著「風の道 雲の旅」という写真と短文のコラボした横長220ページのずしりと重い本です。タイトルがちょっとくさいのですが、中身は素晴らしい。裏表紙の内側に鉛筆で500円と書いてありました。「なんだ,そうか、古本屋が余った本を捨てたんだな」と勘のいい私はすぐに気づきました。そうですね、シーナの素晴らしい本が焼かれてしまうか、大事にしてくれる人と出会ったか、わたしと出会ったとき、そのときが運命の別れ際でしたね。

ラッキーなシーナの随筆集は以来私によって毎日のようにペーシがめくられて、ためいきの息吹(湿気)をかぶることになったのです。広角系のレンズ、素晴らしい田舎の片隅や世界の果ての景色、そして何気なく生きている人たちと動物、ページをめくりならら“こういうモノクロの写真を撮りたい“と心から願う私でした。ある映画で「夢は身近にない方がいい、実現してしまうと、人間はおしまいになる」と哲学の教授が教室で言っていました。幸い、どうかんがえても、シーナの写真はわたしにとっては遠い遠い夢です