ジョージマロリーはイギリスの登山家であってエベレストに何回も挑戦しています。記者の「なぜ山に登るのか」という質問に対して「そこに山があるから」と応えたのは有名な逸話になっています。1924年4回目の挑戦でマロリーはアーヴィンとともに8000米の上のほうで遭難しました。登山史上最大のなぞを残したまま。それから90年たっていますが、いまだ解けないなぞは「一体マロリーとアーヴィンはエベレストの頂上を征服したのか、しなかったのか」という疑問で、彼らが大記録を打ち立てたのかどうか証拠がないのです。
15年ほど前に中国のエヴェレスト登山隊の一人がエベレスト登頂に失敗して下山するとき「英国人の死体を見た。場所は8000米よりわずか上のほうであった」と語っているが、その事実をもう少しつめる前に彼は遭難してしまったのです。彼が見た死体は半ばうつぶせになっていて、衣服は着ていたが、凍っていてボロボロの状態で、衣服に触ったらポロッとはがれたといいます。それがマロリーかアーヴィンかは分からない。また英国人かどうかも分からないのです。彼のような中国人は西洋人を見ると習慣的に英国人と言ってしまうらしいのです。
作家の夢枕 獏はその「神々の山嶺(いただき)」という著書で、マロリーが持っていたはずのカメラを見つけても持ち帰った日本人登山家がいたという仮説を立てました。そのコダックのカメラは当時で最新で、もし彼らがエベレストの頂上を踏んでいたら、間違いなく写真を撮っていたはずだということになるわけです。本のなかでは主人公の写真家がカトマンヅの古道具屋で手に入れたカメラをめぐってなぞの男が出没したり、危険な駆け引きがあったリ、カメラが盗難にあったり、それこそ、新しい型の山岳小説として世にでてきましたが、マロリーをめぐっていろいろな憶測が流れ、主人公は再びエベレストへ登頂に駆り立てられるのです。
こういう山岳冒険の小説を読み始めると私は夜も眠れません。私は山登りはよくやりましたが、決して危険な登山をやっていたわけではなく安全はハイキング程度の趣味でした。ということは冬の谷川岳にはいったり、冬のアルプスを登ったりしたことはないのです。でもマロリーの歴史を読むにつけ、登山の厳しさ、イギリスという国の強さ、イギリス人の力、など思いをはせてしまいます。文庫本「神々のいただき」はすでに下巻に入ってきました。寝る時間を惜しんで読みふけっています。
カメラ:ベストポケット オートグラフィック コダック スペシャル