ハリウッドの女優が、元女優に扮して熱演するのはどいう感じだろうか、と考えてしまいます。あの有名なモナコ大公王妃になったグレースケリーに扮するニコールキッドマンは熱演をもって期待に応えたようです。二人とも負けず劣らずの美人だし、体系も似たようなものなので、ニコールも演技はやりやすかったのでは、と私のような外野は憶測します。
ただ、映画の評価は難しいところが多々あります。なんといってもモナコ大公に扮した男優が少々存在感がなく、優れた男優とは思えません。ですから、こんな人にグレースケリーが惚れたのか?と疑問を持ってしまいます。鼻の下にひげを蓄えた小男というのは、役なのか、そうでないのか。この映画は、グレースケリーの恋愛をテーマとしているわけではなく、一般人が宮廷に入ってみると苦労ばかり続く、といったようなどこかの国にもあるエピソード、そして後見のような大国フランスとの喧嘩と言いますか、トラブルをどのように処理するかという難儀なストーリーがあります。
フランスはドゴールの時代です。ドゴールのゴーリズムとは、「国家は介入する」ということですから、モナコにも介入したりしようとします。軍隊を持たないモナコは、もしフランスと衝突すれば、ひとたまりもありません。そこで、モナコ大公自身には全く交渉能力、解決能力がないので、映画では王妃が乗り出して、立派にこの衝突を解決するという仕立てなっています。
結婚式は1956年4月、今から58年前のグレースケリーのことはあまり覚えていない現代の映画ファンですから、ニコールキッドマンとグレースケリーを比較することもないでしょう。しかし、私はニコールは熱演しましたが、グレースケリーに扮するには気品が一歩足らず、“あーあ惜しかった”と言わざるを得ません。気品というものは演技というものでは賄いきれないのですね。