口語体と文語体が入りまじり、また大阪弁とお笑い芸人独特の言葉つかいも、言い回しとか表現が加わって、読みにくいというか実際に読めない部分もありました。ただ読み終わってみると、その不明瞭なところが又吉であって、個性というか「火花」全体の特色でもあるのです。小説の中の表現はなかなか おつ であって、お笑いの世界で真面目に悩む人でなければ行きつかない文学的な領域に達しているともいえるようです。なぜ芥川賞か? そこで行き着いた結論は、1)審査委員の中に誰一人お笑いの経験のある作家はいないだろう、ゆえに物珍しい。2)またこれほどの個性を創作できる力量のある作家はいなかった、ゆえに審査委員は合格印を押さざるを得なかった、ということではないか。ことの成り行きから委員たちは次はきっと獄中の婦女強姦魔に芥川賞を授けるに違いないと類推してしまうのです。
お笑い芸人の中で、才能がない人たちが、芸人として生きてゆくのは地獄でしょうね。やめてしまえばいいのに、お笑いの世界にしがみついている神谷とか徳永(又吉本人のことらしい)が一生懸命になればなるほど滑稽で、悲しい。もう限界というところで最後の舞台が、それまで無関心だったファンの興味を呼ぶ。そこで芸人が心の叫びを表現するも、笑うはずの観客は泣いてしまった。一生一代の舞台でも笑いをとれずに、彼らは舞台を去る。 妥協しないで、自分の感性に正直に生きて、ネタが難しすぎて安っぽい笑も取れずに去ってゆく芸人、心の中の火花は不発のまま。
私はこの小説を評価します、芥川賞を取ったのは必然ですね。