自民党は新しい会派を創設したらしい。それが、「自民党旧統一教会」 と言って、なんと計30人以上の「幹部と参院議員」が参加しているらしい。これで、自民党は二つの宗教団体と結束したことになる。すなはち創価学会と旧統一教会である。どこの国にも宗教と政治は密接に結びついていて、古今政治をつかさどるには宗教の偉大な力を必要としているのが、歴史のである。よって、宗教と政治の結束を間違いというつもりは毛頭ない。

しかし、今回の宗教団体と自民党の協力体制は、どう考えても衆院選挙の票集めのためであって、もっと奥深い原理を追求したものではないというのは、新しい閣僚になったり、また新たに大臣に指名された人たちが「そういう宗教はよく知らなかったが、とにかく挨拶はしてくれと頼まれた」などと言って、急に、距離を置いていることを世間に表明し始めたからである。本当にこの宗教を自分の精神のよりどころとして信頼しているならば、どうして、マスメデイアの前で自分が信ずるこの宗教の美点というか、強さを主張しないのか。全く情けないの一言だ。つまり、もしこの宗教を是認したら、閣僚とか大臣とか政務次官を直ちに下ろされることは、今や弱体総理の必然的自己保存の帰結と想像されるのだから。

わたしは、この問題の逃げ切り策(うやむやにして時間稼ぎをする)は弱体化してしまった新内閣の手段とするには、タイミングは悪いし、また本旨でもないはずであろう。というのは、今は台湾有事の時の日本の周辺紛争シミュレイションと組織と命令系統の吟味を始めなければならないときだからである。さっそく憲法改正の準備に取り掛かるべし、とも考える。私は別に右翼でもないし、好戦的でもない。しかし、長引くヨーロッパの戦争を観察するにあたって、この戦争は代理戦争に見えているし、核兵器の発射設備に右手の人差し指を置いて、民主主義諸国を恫喝するPの忌々しい姿が瞼から消えない現状を憂いているからだ。

それでなくとも岸田内閣はコロナとロシアの侵略に打ちのめされた日本を立て直す手段を導入しなければならないのに、終わってしまった選挙問題に時間を使っていいはずがない。周囲に耳を貸す総理ともいわれて斬新さを出してきた岸田総理だが、今や人の意見を聴く余裕などないはずで、自分自信の信ずるところを思いっきり邁進してもらいたい。まちがっても ロシア+中国 の枢軸を許すべきではないだろう。