北の丸公園とか上野公園、千鳥が淵公園あたりの桜を3月下旬に愛でた人たちは、さらに欲張って満開の桜を見に行くところは、伊那市の高遠だろうと想像しています。私は諏訪ICで降りてしまって、懐かしい杖突峠を超えました。普通は伊那ICを降りるのですから、いわばショートカット。高遠城址は「世の中に花の咲く木と言えば桜しかないのか」と言いたくなるほど桜だらけです。1530年ごろですが、諏訪氏の傘下にあった高遠の殿様は信玄に敗けました。当然ですね。庭に桜の樹ばかり植えて喜んでいる戦国武将なんて、、、というところですから。でもそれは短絡的な考えらしいのです。と言うのは高遠を占拠したのは信玄の部下の山本寛助で、彼がその後このお城の手入れをしたと言われていますから。

このお城はまずいところに築城されているのです。確かに、伊那市から見れば高遠というところは幾分高みにありますが、信州からの通商の道の杖突峠から見れば、高遠ははるか下界にあたるのです。つまり「ひよどり越え」をした義経のような気分で、お城を見下ろして攻め寄せられるわけです。滅ぶべくして滅んだ遊興に夢中だった高遠氏というイメージが浮かんできました。ともかく、高遠への道は評判が悪いのです。道が狭く北からも、南からも一車線の山道です。観光バスも自家用車も4月の週末は渋滞に巻き込まれます。

ただ妙に静かだったのは、上野の山のように咲くさくらの木の下で宴会はしていないのですね。やはりそれはレッドカードなんでしょう。高遠まんじゅうなど土産物屋や屋台が並んでいますが、ごみを捨てるところがない。しばらく観察していると客はお店にごみを預けています。そうか、1500本もの桜(コヒガンサクラが主体)の樹の下では、ごみ投げ捨てもレッドカードでした。わたしは、歩けば20分もある中学の校庭に車を止めて、バスで公園まで行きました。この公園周辺には、歴史博物館とか、信州高遠美術館とか、絵島囲み屋敷、進徳館、県宝旧馬島家住宅高遠懐かし館、有形文化財高遠閣など由緒ある遺産が少なくないのです。

ところで、高遠町ではこの街を桜のみならず初夏の新緑、秋の紅葉などをおすすめしているわけですが、それはそうでしょうね。私ならば、杖突峠から守屋山への軽いハイキングをおすすめするところです。この山頂は絶好の八ヶ岳展望場所ですから。