新宿のオペラシテイーで篠山紀信の写真展が開かれています。タイトルは「写真力」といいます。会場を覗いてみて圧倒されました。それはタテヨコ3メートル以上もあるかと思われるほど大きく伸ばした人間の写真だったからです。被写体はどなたもご存じの宮沢りえ、貴乃花、山口百恵、三島由紀夫、市川海老蔵、ジョン レノン、夏目雅子、キャロル、中村錦之助、カルメン マキ、樋口可南子など、もうきりがありません。150枚に及ぶ作者の進めるポートレイトと集合写真は大きく分けると、歌舞伎、相撲の世界、そして芸能人、スポーツマン、ダンサーなどに分けられるようです。
会場には熟年女性が押し寄せていました。無理もないです。これらの有名なアーチストたちは私たち日本人の生涯のおなじみだったんですから。わたしも、いちファンになって素晴らしい映像を追いかけました。これら頂上を極めた役者の時代を自分で回顧しながらです。篠山はこの圧倒的なポートレイトを「写真力」とタイトルしていましたが、なるほどと思わせます。難しくない、わかりやすく楽しい写真展と言っていいでしょう。
さて、被写体である美空ひばりや大江健三郎などには、それぞれの分野で価値ある人物です。被写体に価値があるのでファンが感激するのでしょう。もし被写体が昆虫やお花だったら、ファンは特に写真の周りに集まって小声で熱心に思い出話などしないでしょう。
政治家や芸能人を撮って大いに評価される写真家がいます。それは一つのジャンルであって、大きな市場(ファンの数)があるのではないかと思います。
一方、野辺の草花や、森の中の廃屋、裏町の古い倉庫、などを撮っている私には、篠山紀信のジャンルは別世界でもあります。帰途、篠山紀信に価値について考えました。彼自身は貴乃花ではない。彼の特技、価値は 撮りたい被写体を捕まえること、そして表現すること、さらに高度の技術を駆使すること、つまり価値ある被写体をファンに提供することでしょう。その技術は高いと思います。別室にあったモニター画面では篠山記信がインタビューされていました。彼曰く「こんなインタビュー映像なんか見ていなくて、早く会場に行きなさい」と。そういうことです。彼は中継ぎ役だったんです。彼は「芸術か否かといういう問題の上に写真はある」と断言しています。私は、ズバリ、お答えしたい、「写真は芸術側にはいない。オリジナリテイーは被写体である」と。