最近は各国のデフレ対策でお金が市場にじゃぶじゃぶ余っていて、そのくせ需要がないために、金利は下げっぱなし。低金利によるデフレ対策、言い換えると需要を喚起してインフレ導入という中央銀行の施策はほぼ失敗したと思います。無理やりインフレを導入する、というやりかたに国民とか企業は反発しているわけですね。

その結果というか、副作用というのが、保険会社とか、ファンドとかの機関投資家にお金が集まって、業績が芳しくないのに、株価は高値で推移しています。例えば、2020年3月期の企業決算は軒並み減益です。減益会社が多くて私は非常に居心地が悪く、気持ち悪いです。

高くなった株価とかヴァリュエイション(PER)を正当化する業績の裏付けが剥げているのです。

そこで、あり余る資金を割高な企業に投資せざるを得ない投資ファンドは企業価値を引き上げて、高い株価を支えざるを得なくなってきました。その中で、E(環境)、S(社会)、そしてG(ガバナンス)を標語化して、企業にもっと儲けてもらい、かつ環境社会に対して貢献して、いわゆる企業価値を上げてくれと要求しているのです。

私は自分のキャリアの中で、とっくにE.S,Gを評価して、投資してきました。今更なんですかと思います。最初はEはEarningsで利益そのもの、Sは Salesで売り上げそのもの、Gが最近注目されている(日産自動車の例もありますが)Governance(企業統治―株主のための経営)かなと思っていましたが、マスコミはじめ多くの関係者がESGがあたかも新しい投資哲学かのように扱って、企業の経営に口をはさみ、結果として株価を上げていきたいと期待するのです。まあ、物言う株主みたいな態度ですね。真剣にこのコンセプトに取り組んでいる人たちには申し訳ないですが、何となく「さもしい」とおもいます。

企業経営者は特に指摘されなくとも ESGは当然の経営哲学として、当初ら取り入れているのです。そして、長期観点からは、成功していて、利益も上がり、結果株価も上がってきています。何を今更、経営者に対して説教したりすることもないわけです。ではESGに目覚めていないところはどうなるかというと、市場から退場するしかないでしょう。自由競争社会ではそこのところはとても大事です。経営に失敗しても、政府や親会社がすぐ手を差し伸べるような社会であっては、資本主義の哲学が泣きますよ。昨今のESGは結局金余りという、資金循環の劣化がもたらした、あだ花ではないでしょうか。