昨17日縁あって東京競馬場に行ってきました.雨模様のどんよりとした空気の中、レースは朝から京都、東京ともに穴続出でファンはどよめいていました。まあ、そんなことはどうでもよろしいのです。私たちを招待してくれたある団体とJRAが啓蒙と、好意で、パドックに入る前の地下馬道とか施設を案内してくれました。よくテレビで見かける競馬場の内側の構造、風景を自分たちの目で確かめることです。

ビルの裏側に作られているエレベーターを降りると、そこが地下一階で、すぐ競争馬と騎手がスタンバイしているところにたどり着きます。ちょうどその時間はレースが行われていて、馬も騎手もいないガラガラの状態、わずかに関係者(たぶん馬主さんたち)がたむろしているだけでした。その地下の一角に3頭の白い先導馬が繋がれていました。一番近い一頭に近寄ってみると、私はなんとなく周囲に目をはしらせていたのですが、仲間のC氏が声を出して、「え?ビスケットがいますよ。これって吉野さんが買っていた馬ではないですか」と教えてくれました。「え?なになに?こんなところにいたの?」と、私は本当にびっくりしました。

ユーワホースクラブで数頭の馬(ファルコンとかファントムとか)の一口馬主になっていた私は。2003年ごろ父コジーンという中距離得意の血統で、グレイの毛色を持つ馬たちが気に入っていて注目していました。今でいうところのクロフネみたいな。ユーワビスケットは強い雰囲気はなく、かわいい馬でした。グレイのボデイーに誠実そうな優しい目をした小柄の馬で、私はパンフを見ただけで(得意の)一目ぼれをしました。直観で決めるのが好きな私は、一口(確か25000円)乗りました。

ところが、見た目通りチカラをあまり出せなくておよそですが8戦くらいして2勝、怪我か何かで引退してしまったのです。馬にはよくあることで、あっという間に引退することは競争馬の日常茶飯事なのです。ユーワホースクラブもフォローなどしないクラブで(この辺はガバナンスの欠如と言っていいかも)、私はビスケットがどこに行ったのか、場合によっては馬肉になってしまったのか(100%ジョークですが)まるっきり見当もつきません。しかし競馬クラブは馬の行く末については、語らない習慣ですね。

昨土曜日、ついに奇跡の出会いをして、言葉に詰まり、私は周りの人たちには感づかれないように、横を向いて涙目を隠しました。ビスケットと握手してねぎらってやりたかったのですが、馬と握手したことがないので勝手がわからず、写真を撮ってもらいました。競争馬の過酷な運命を知る私は、「先導馬でもいい、再就職できてよかったな、生きていてよかったな」と、心の中でつぶやくばかりでした。