表記は ハンナ ライという学者の著書に使ったたタイトルのパクリである。それほどわたくしは、AI (人工頭脳)について、無知である。なぜ無知の私がわざわざこのテーマを取り上げるのかというと、私の周辺に困ったことが起きているからである。ちょっとした老人の趣味の世界でわたくしは、囲碁、将棋、そして競馬にいそしんでいる。いずれもあくまで遊びの世界であって、何らの学術的な対応をしているわけではない。

ところが困ったことに、このような遊びの世界で、こんにちはAIなどの活用がまかり通っている。なぜなんだ。進歩的な変化がおきているのか、人々が(特に解説者とかメディアとか)あたりもの好きな連中が、すぐ「AIは、、とか人工頭脳は、、」とか言い募っているので、困っているのだ。囲碁では、解説者はAIの判定ごとに(ひと手打つたびにAIは反応して、有利とか不利のサインを出している)反応してくる。将棋に至っては、はや人間が人工頭脳に教える時代は去り、公式戦での人工頭脳対人間棋士の試合は棋士が2勝18敗くらいに負け越している。もはや、人工頭脳には歯が立たないことが世界中で認識されている。

こうなったら立場は逆転する、将棋でも囲碁でも今日日は棋士は人口頭脳に学ぼうと必死になっていて、その結果は「人口頭脳に学ぶことはすこぶるよい」といわれる。だからといって、数学的な人工頭脳の処理においては、人間は負けたのか、人工頭脳の支配下にあるのかといえばそうでもない。「アルゴリズムの時代」(文芸春秋社、1870円)の著者 ハンナ フライはコンピューターと人間の共存の道を探っている。コンピューターで段階を追って数学的処理をすることで、人間の役に立つという数学者らしい発想ではある。

さて、わたくしも迷路に迷っている。それは競馬の勝ち馬が人工頭脳の活用ではどうも役に立っていないらしいということがわかってきたからだ。生き物の生理的な動きとか、反応とかが数値に置き換えられないことは常識だろう。ではスポニチ紙とか日刊スポーツ紙はどうして人工頭脳による勝ち馬予想を「ごりおし」してくるのか、腑に落ちない。