とにかく、作家先生にはびっくりしました。どうやら私たち凡人とは全く世界が違うのですね。彼らを天才と言ってもいいのでしょう。

いつもの本屋に立ち寄って、出版されたばかりの文庫本「穂高の月」(井上靖著 ハヤカワ文庫 880円+)を求めて、読み始めたところ、本当に驚きました。この先生は有名な小説家で、「氷壁」を朝日新聞に連載して読者を引き込みました。私は日経新聞派なので、そこの迫力には接したことがありませんでしたが、後日、結局、読まされました。

わたしが購入した、このエッセイは、はなっから度肝を抜きます。「私は氷壁の著者ですが、山には登ったことはありません」だと。確かに最初のお月見山行で、穂高岳下の涸沢ヒュッテに泊まって鈍い色の月を見た旅行では、安川茂雄(登山家)、とか生沢朗(画家)、とか瓜生卓三(作家)などの経験者が素人の間に交じって上高地からの長い道のりをリードしたようです。そして井上に山のことをいろいろ教えてくれたそうです。

井上靖は山と言えばたった一つ、故郷の伊豆の天城山周辺の経験だけです。山をきらったわけではないようですが、とにかく不案内もいいところです。そして、山岳小説を執筆するうえでのハンデに気づいたらしく、それから4回も穂高岳のみに登るのです。普通はそうじゃないんですね。いったん登山に興味が出ればいろいろな山に登りたがるものですね。彼は小説「氷壁」を完結するためにのみ穂高岳に登ったのでしょうか。

しかし、だからと言って崇高な山とその環境とか精神に無関心ではなく、エッセイによれば、随分と登山美学の真髄に近づいていたようです。特に梓川の清流には心を洗われたようで、その感性はさすがに売れっ子作家先生ですね。わたしも、穂高岳には2度登頂していますが、井上靖と共感するところは少なくないです。