今から5年前、多額の資金を投入して、日経新聞はFT(イギリスのフィナンシアルタイムズ社)を買収しました。当時は世間というか読者の共感とか反応は薄かったようでした。というか、だれもあまり関心が無いようでした。私はある理由でこの買収を注意深く推移を見守っていました。

私は外国会社に20年働いていて、日本の世界での地位、立場について否応なく仕事仲間とか、外国の友人に「日本はどうしてこうなんだ?」と迫られていました。いろいろの気づきの中で、私は日本人が手に入れる情報があまりにも狭くて、気質は狭量だということに気づかされていました。つまり価値観を国際レベルで比較したり、また客観的な判断を苦手にしていたり、まあ言ってみれば、情報では「井の中の蛙」そのものと言わざるを得ませんでした。

そういう日本人の一人として、私は、なんとしても世界の情報を入手したいと思っていました。結果、日本の新聞社がFTを手に入れたことを快挙だと思ったのです。多くの日本人に世界はどうなんだと知ってもらいたい、そうでなくては私個人の居心地が悪いのです。

最近日経紙はFTのアジアエディターなる肩書のジャルミ アンデリーニというライターの記事を掲載しました、題して「香港デモにかけるもの」(12月16日朝刊)のことです。

私はようやく、長い間、喉の奥につかえていた疑問「いったい香港と中国はどうして対立しているのだろうか、その本質は」という疑問が氷解しました。短い記事でしたが、740万の人口のうち80万人がデモをすることの思想の尊さ、生命の危険、行為の無駄、などが理解できました。言ってみれば、中国は香港のデモを民主主義の表現手段ではなく、(知っているのか知らないのか)ただの暴力としか認めない。暴力は国家の秩序を乱すので、武力で鎮圧するのは当然である、という論理。決して両者は交わることのない対立です。一国二制度の統一とか管理は難しいとは思います。しかし、香港側に時間をかけて相手を説得したり、理解してもらうリーダーが不在なのは不幸ですと、この記事は言っています。

私でデモは民主主義のひとつの方法だと考え、なぜ日本にデモがないのだろうかと疑問に思っていました。たとえばいわゆる もりかけ事件 で野党が追及に失敗したにもかかわらず、私たち大衆は立ちあがらなかったこと。空洞化した議院内閣制を立てなおさなければならないはずなのに、にもかかわらず、我々日本人は民主主義とは遠いところに住んでいるのだなと思いました。立ち上がるきっかけは無かったのでしょうか。選挙で疲弊している野党を育てるチカラが無いのでしょうか。香港の切羽詰まった強い情熱は我々にはないのでしょうか。