秋の気配に触れたくて、高原にやってきた。都会でもここ数日は朝夕の温度は下がって、肌にひやりと冷たくかんじられる。まして高原では。今朝は空高く、森のなかでさえずるはずの小鳥たちも心なしか、静寂を楽しんでいるかのように、周囲には音がない。

コーヒーを入れて、デッキテラスの木の椅子に座ろうとした。すると椅子の片側にカマキリが佇んでいるのを見つけた。このまま気づかずに腰を下ろしたら、カマキリを尻にしくことになったのだ。カマキリはじっとして、私たちが過ぎゆく秋を楽しもうとするがごとく、朝の温かな日差しを全身に受け止めている。ちょっと横にずれてくださいというわたしなりのゼスチャーを感じて、カマキリは椅子の端のほうに動いた。

カマキリは私の存在をジャマとも思わぬ風で、じーっとしている。時々頭をかしげて周囲を眺めているようだ。秋の季節では、もはやカマキリは夏の傲慢さとか貪欲さを失って、おとなしく、鎌を持ち上げて私たち邪魔者を威嚇する風もない。9月の末どき、庭の草花にはもはや晴れがましい花は無く、黄みと赤みのそしてオレンジ色に変わってきた枝葉が「灼熱の夏は終わったね」と私に語りかけてくる。

カマキリも、もうみどり色のふくよかな全身を誇る気配もなく、少々汚れたような風体で、あとわずかの命を惜しむように、わたしと椅子を共有していた。多分、このカマキリは私を無害な友人と思うのではなく、ただ残された時間を大切に過ごそうということだけなのだ。そこにたまたま私が居合わせたということだろう。カマキリを眺めていると、「この昆虫君、じっとしているが、哲学でもしているのかな」と思わせる。ふりかえって、私はといえば、そのような精神の高みには到底達しないで、ただただ庭の掃除をどうやって終わらせるか、としか考えない凡人そのものなのだ。