普通金沢といえば兼六園とか近江町市場、香林坊、城址公園などが口の端にのぼるだろうと思います。私は時間をゆっくりとって、カメラ片手に「武家屋敷跡」と「ひがし茶屋街」を見てきました。よって兼六園などは今回はパスです。百万石の大名の城下町はなにか違うなー、という印象ですが、香林坊のすぐ近くの城下町にすべての武士が住んでいたそうです。塀も門構えも立派できれいです。多分金沢加賀藩の長い歴史の中で何回も火災天災などがあって、建て直したのではないかと察します。いま見たら料亭ではないかと思わせる贅沢な作りの家々、その門には表札がかかっています。先祖代々住んでいる方たちかもしれませんが、後々大金をはたいて買い取った人たちの家でもあるのです。

たまたまガイドのそばで聞いていたら、アパホテルのオーナーが所有している武家屋敷も目の前にありました。小型のデジタル一眼レフ「Fujifilm-X20」を駆使して撮影するはずだったのですが、朝の光が強烈で、逆光になるとほとんどまともに撮れないのです。自動にしないなどと工夫すればなんとかなると思いますが、勉強不足なので難しい場所は避けてしまいます。観光と撮影の両天秤はなりたたず。カメラをもって嘆いているなんて素人も同然だと思うと情けない気がしました。

禄高千石の野村家(いま時では会社の課長クラスだそうです)という屋敷は入場料を払って入れます。庭と和室、さらには掛け軸とか、天井とかなかなか豪華な作りで、きっと金沢でも名のある名家なのでしょう。庭は木や草や水回りなど少し込み入っていて優雅とは遠い感じ、宮廷ではない、武士だからこの程度なのだろうと理解をしてあげました。50-60軒くらいはある屋敷の外側は堀になっていて豊かな水がどうどうと流れています。さすがは白山のふもとの町だなと感心しました。屋敷の中は通り道がはなんとなくタテヨコに曲がりくねっていて、いざという時は逃げやすく、守りやすく作ってあるのかなと思いました。

さて、次はお茶屋ですが、武家屋敷と違って水商売の街には色気があります。長い塀で屋敷を囲っていることもありません。ひがし茶屋は金沢都心の東側、浅野川沿いに遊郭が流行ったところです。遊郭ですが、時代とともに繁栄と没落を繰り返し、今残こっている建物は加賀藩の末期1820年のころの作りで、350年を誇る加賀藩の後半の栄華の限りを忍ばせます。そうだな、加賀藩は外地で戦っても足元で戦ったことがなかったのだな、ここで遊女たちが侍や町人を慰めていたのか、とカメラ片手に私は感慨にふけった次第です。また、この界隈には紫舟小出(クリ饅頭)とか森八(落雁)とかいう老舗の菓子屋がそろっていました。通りの中ほどに金箔を扱った店がありました。ベルサイユ宮殿の発想ではないですが、絢爛豪華な文化をしのぶ観光客にはこの場所には少々興味をそそられたかもしれません。こうやって200年前の街を歩きながら、ちょっとだけシャター押してきました。