ときどき写真展を見に行きますが、これがいい刺激になります。プロの作品のレベルが私と近いはずがないので、刺激というのは、写真家のエネルギーというか、問題意識というか、元気というか、そういった精神の強さに感心するのです。長野県の原村に八ヶ岳美術館があります。そこでは故郷である長野の昔の伝統行事、祭り、家族などの被写体を小林氏がまとめて、「Kemonomichi」および「山人の記憶」というテーマでくくって展覧会をやっています。

写真はスナップですが、諏訪、長野、などでの伝統行事や村の人たちを手持ちで撮りまくっています。まるでネガフイルムを使って、露出を浅くしてアマチュアみたいな姿勢です。普段プロカメラマンの美しい出来上がりになれた私は、感動するというよりも「なんだろうな、こういう作りは」と軽く見てしまいます。そうだよな、うさぎも馬も、農夫も山の稜線も上述のテーマがあればこそ生きているので、もしも、テーマを隠したらただの田舎の風景と人物のスナップのみ、理解が出来ない作品ばかりとなってしまうでしょう。

ということで写真展を見た私は、インパクトが弱くて失望しました。むしろ昨年に読んだ彼の「メモワール、写真家古屋誠一との20年」のことを思い出しました。この本は何十年に一度の衝撃を私に与えています。小林という写真家は器用といいますか、ドキュメンタリーも書いています。古屋誠一は外国人の妻を娶り、外国に住んでいました。この妻が結婚前から精神病を患っていて、病状はだんだん悪化してくるのです。最初は躁うつ病みたいでしたが、そのうちに壊れていったようなのです。小林は古屋夫婦と付かず離れずにこの壊れた過程を追いかけました。そしてある日、外人の妻は自分の住むアパートで飛び降り自殺を図りました。

古谷もそのときいっしょに同じ屋根の下にいました。気配を察した古谷は窓から地上に落ちた妻を目撃、一瞬部屋まで取って返してカメラをつかんで、現場に下りていきました。私なら、また普通の人間なら、妻の死体を見た瞬間に部屋にとって帰れるでしょうか。私にも、小林にもアラーキーにも出来ません。古谷は何回も何回も狂ってきた生前の妻の写真を使って展覧会を開いています。亡くなった後もその映像を使って展覧会を開いています。古谷は芸術家か、それとも妄執に憑かれた亡者か。私はこの実録を読んで、小林の書いたこと、古屋のことを考え悩みました。友達の田山さんにもこの本を送って読んでもらいました。こんなセンセイショナルな生活ってあるのだろうか。アラーキーはひとこと「愛がないよな」と言ったらしいですが、私もソレに近い感想を持ちました。お勧めの本です。